芥川龍之介先生マンガ記

芥川龍之介先生関連のマンガを掲載しています。見て頂くことと自分の調べ物と両方を目的にしています。

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小島政二郎_06

小島政二郎_05

小島政二郎_04

小島政二郎_03

小島政二郎_02

小島政二郎_01

百閒と芥川の出会い?

忙中謝客_05

忙中謝客_04

忙中謝客_03

忙中謝客_02

忙中謝客_01

鳳凰のステッキ_03

先生の作とよく間違えられる、主人愛用の籐のステッキの鶏頭の握り手は、香取秀真先生ではなく、正彦さんの作です。 芥川文述・中野妙子記「追想芥川龍之介」より

鳳凰のステッキ_02

宇野浩二 (うの-こうじ) 1891-1961 大正-昭和時代の小説家。明治24年7月26日生まれ。大正8年「蔵の中」でデビュー。のち「子を貸し屋」などを発表。一時精神に変調をきたしたが,昭和8年「枯木のある風景」で復帰。26年「思ひ川」で読売文学賞。広津和郎とと…

鳳凰のステッキ_01

大正15年6月30日小島政二郎宛書簡_(蛇足)

大正15年6月30日小島政二郎宛書簡_02

大正15(1926)年 6月30日 小島政二郎宛書簡 冠省御手紙ありがたう。僕目下胃のみならず大腸加太児を起し居り、お医者に相談した所、痔の手術をするにはもつと営養がよくならねは駄目のよし。する時には岩佐病院へ御紹介を願ふべし。兎に角唯今はひよろひよろ…

大正15年6月30日小島政二郎宛書簡_01

芥川家は苺ずき

明治43(1910)年 6月4日 山本喜誉司宛書簡 尺一啓呈昨日は丸一日歌舞伎座で下座の三味音楽のよび起こすやさしい情調を味はつてくらした 其為に君をたずねる事も出来なかった 留守には平塚が寄つてくれたさうだ家へかへつたら君のところの苺がとどいてゐた 難…

平塚の見舞

明治43年(1910)年 4月 山本喜誉司宛書簡 平塚の所から手紙が来て肋骨はぬかずにすンだとかいである 当分寝てゐるさうだ序があったら見舞に行ってやるといゝ あの黒犬さへ居なければ僕も行くンだけれどさぞ細くなつたらうと思つたら涙が二しづくこぼれた でも…

フキ伯母さんの肩揉み

外から帰って来た時も、家にいてちょっと手が空いた時などでも、必ず肩をもみました。 伯母が、「もういいよ」と声をかけても、主人は当り前のように念を入れてもんでおりました。 すると伯母は遠慮しながらも、嬉しそうな顔をみせておりました。肩もみは、…

フキ伯母さんのお土産

主人は普段、めったに私どもに土産など買って来たことはありませんでした。 それでも伯母には、本当によく気がついて土産を買ってかえりました。 銀座あたりからでも、ちょっとそこいらへ出た時でも、イシヴァネスの袖の中から、右に二つ、左に三つと、しか…

芥川龍之介の小学生の頃の夢

『追憶』より 二七 画 僕は幼稚園にはいっていたころには海軍将校になるつもりだった。が、小学校へはいったころからいつか画家志願に変っていた。僕の叔母は狩野勝玉という芳崖の乙弟子に縁づいていた。僕の叔父もまた裁判官だった雨谷に南画を学んでいた。…

芥川龍之介の幼稚園の頃の夢

追憶「答案」_02

『 追憶』より 三一 答案 確か小学校の二、三年生のころ、僕らの先生は僕らの机に耳の青い藁半紙わらばんしを配り、それへ「かわいと思うもの」と「美しいと思うもの」とを書けと言った。僕は象を「かわいと思うもの」にし、雲を「美しいと思うもの」にした…

追憶「答案」_01

奈良について_02

明治43年(1910)年 4月30日 関戸龍雄宛書簡 けれども京のやさしいのよりも更に深く自分を動したのは奈良の土の香であつた 京をロマンチックの都とすれば奈良はクラシックな都である 若草の下から千年の時の款の洩れて来るのは奈良だ 色のぼけた絵巻物が京なら…

奈良について_01

京都について_02

清水の舞台の工ハガキを見ておそ春の京を思つた 京べにを売る家ののれんのすゝびたのを思つた智恩院の篤張をうす曇のした日にあるいたのを思つた相国寺の三門を思つた祇園の舞妓を思つた 京はどうしてもロマンチックな都だ 京の宿の女中の返事が長くひくとこ…

京都について_01