2013-11-01から1ヶ月間の記事一覧
先生の作とよく間違えられる、主人愛用の籐のステッキの鶏頭の握り手は、香取秀真先生ではなく、正彦さんの作です。 芥川文述・中野妙子記「追想芥川龍之介」より
宇野浩二 (うの-こうじ) 1891-1961 大正-昭和時代の小説家。明治24年7月26日生まれ。大正8年「蔵の中」でデビュー。のち「子を貸し屋」などを発表。一時精神に変調をきたしたが,昭和8年「枯木のある風景」で復帰。26年「思ひ川」で読売文学賞。広津和郎とと…
大正15(1926)年 6月30日 小島政二郎宛書簡 冠省御手紙ありがたう。僕目下胃のみならず大腸加太児を起し居り、お医者に相談した所、痔の手術をするにはもつと営養がよくならねは駄目のよし。する時には岩佐病院へ御紹介を願ふべし。兎に角唯今はひよろひよろ…
明治43(1910)年 6月4日 山本喜誉司宛書簡 尺一啓呈昨日は丸一日歌舞伎座で下座の三味音楽のよび起こすやさしい情調を味はつてくらした 其為に君をたずねる事も出来なかった 留守には平塚が寄つてくれたさうだ家へかへつたら君のところの苺がとどいてゐた 難…
明治43年(1910)年 4月 山本喜誉司宛書簡 平塚の所から手紙が来て肋骨はぬかずにすンだとかいである 当分寝てゐるさうだ序があったら見舞に行ってやるといゝ あの黒犬さへ居なければ僕も行くンだけれどさぞ細くなつたらうと思つたら涙が二しづくこぼれた でも…
外から帰って来た時も、家にいてちょっと手が空いた時などでも、必ず肩をもみました。 伯母が、「もういいよ」と声をかけても、主人は当り前のように念を入れてもんでおりました。 すると伯母は遠慮しながらも、嬉しそうな顔をみせておりました。肩もみは、…
主人は普段、めったに私どもに土産など買って来たことはありませんでした。 それでも伯母には、本当によく気がついて土産を買ってかえりました。 銀座あたりからでも、ちょっとそこいらへ出た時でも、イシヴァネスの袖の中から、右に二つ、左に三つと、しか…
『追憶』より 二七 画 僕は幼稚園にはいっていたころには海軍将校になるつもりだった。が、小学校へはいったころからいつか画家志願に変っていた。僕の叔母は狩野勝玉という芳崖の乙弟子に縁づいていた。僕の叔父もまた裁判官だった雨谷に南画を学んでいた。…