芥川龍之介先生マンガ記

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奈良について_02

明治43年(1910)年 4月30日 関戸龍雄宛書簡

けれども京のやさしいのよりも更に深く自分を動したのは奈良の土の香であつた 京をロマンチックの都とすれば奈良はクラシックな都である 若草の下から千年の時の款の洩れて来るのは奈良だ 色のぼけた絵巻物が京ならば煤びた仏画が奈良だよ君
興福寺の塔の下をあるいて見給へ 菜の花と梨の花との間に薬師寺の塔を眺めて見給へ それよりは法隆寺の金堂のしめつぽい空気をすひながら うす暗い中にあの彩絵の壁を見た方がいいかもしれない 奈良-過去と云ふ龕中の幽光が今の世に洩れてくるやうな-美しい過去を身にしめて胸の中に沈痛なしらべを歌つてゐるやうな-云ひしらぬ「奈良」の吐息を君はきくに相違ない
虚子の「風流戯法」や「斑鳩物語」がすさなのは一には自分が奈良を愛するからで
あの天燈鬼龍燈鬼の像を見て御覧なさい 伎芸天の像を見て御覧なさい
君は必日本にミケルアンゼロのないのを悲しむまい ラファエルのないのを憾むまい
寧楽王朝の栄華はルイ王朝のそれにもまきつてゐた法華寺の朱ぬりの斑な柱をなでながらこの石
段を光明皇后があゆまれたのかと思ふと-春日の森の樹陰をあるさながらこの若草を赤人や人丸がふンだのかと思ふと-法隆寺の中門を仰いでこの門の柱に聖武の帝の御衣がふれたのかと思ふと-あゝ 赤い灯のゆらぐ前に仏像を刻む奈良法師の鑿の音も患えるやうな気がするぢやァないか 自分は南都に近い君に是非ここに遊び給へとすゝめる 恐らくは若草山の薄緑の色がもう君の心を勤すだらうと思ふ 東京の町の中に座つてa+bをやりながら西の国の想ひ出にふけるのは自分にとつては儚い慰籍である 書いてゐる中に又君が羨ましくなつて来た
長くなりすぎたから筆を擱く
 チユリツプの白き花にしたしみつゝ
  卅日
 龍雄君 硯北
追伸 自分の家の庭の春を御覧にいれる 桜はもうちつた