森永のケーキを食べる芥川ファミリー
大正十五年末、主人と私と三男也寸志(大正十四年七月生れ)と三人で、私の実家のある鵠沼海岸の東屋旅館に滞在しました。
上の二人の子は田端の家へ残して来ました。五月に入り、也寸志の初節句のため、私は也寸志を連れて田端の家へ一足先に帰りました。主人は鶴沼に残っていて大腸カタルを病みました。
間もなく主人も田端へ帰って来ました。たまたま、森永のジンジャケーキを食べていました時、私が、
「このお菓子には生姜が入っていますね」と言いますと、すぐ下痢をしてしまいました。常日頃生姜は腸に悪いといっていた主人は、その言葉だけですぐ下痢を起こしてしまうのです。神経からくる胃腸障害が相当にひどかったようです。
田端の家は暗くて陰気だし、西洋皿一枚と罐詰の簡易生活をしたいという主人の希望により、東屋旅館経営の貸別荘「イの四号」という、玄関を入れて三間の家に移り、鶴沼の簡易生活がはじまりました。
芥川文(中野妙子記)『追想芥川龍之介』より
画像をアップしてから気づいたのですが、大正時代の一般的な家庭には、フォークがあったのでしょうか?上記の引用には洋式の食器は出てきますが。